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女児遺族 晴れぬ無念  宮崎死刑囚 刑執行
女児遺族 晴れぬ無念  宮崎死刑囚 刑執行

 幼い4人の命が次々に奪われた連続幼女誘拐殺人事件から約20年、宮崎勤死刑囚(45)の死刑が17日に執行された。県内では1988年8~12月に入間市の幼稚園児(当時4歳)、飯能市の小学1年生(同7歳)、川越市の幼稚園児(同4歳)の3人が犠牲になった。「犯人が死刑になっても心の傷は癒えない」「悔しい思いは今も変わらない」――。関係者は長い年月をそれぞれの思いで振り返った。

     ◆入間の女児

 女児が通っていた狭山市の幼稚園で当時園長だった男性(74)は「罪の意識もなく、人間性を取り戻すこともなく、死刑を執行することに意味があるのか。わびもないのは残された者にとってはやりきれない。ほかの遺族も同じだと思う」と苦しい胸の内を語った。

 女児が眠る入間市の蓮華院では、住職の児玉政淳さん(70)が夕方、墓前でお経を唱えた。誰かが供えた20輪ほどの花が、女児をイメージして作られた小さな石像の前で風に揺れていた。墓と石像は、事件を風化させたくないという遺族の思いで南向きの目立つ場所に建てられ、今も時折、花が供えられる。児玉さんは「因果応報という言葉がある。仏教界では死刑廃止論が強いが、これだけ大きな罪にはやむを得ない。形だけではあるが、一つの区切りがついた。女児の無念さ、遺族のつらさが少しでも癒やされれば」と語った。

 女児が行方不明になった際、捜索に参加した団地の無職男性(64)は「楽しそうに泥んこ遊びをしていた姿を今も覚えている。あれだけ残酷な殺し方をした人間は死刑でいい。それでも私たちの心の傷は癒えない」と目を赤くして話した。

     ◆飯能の女児

 女児がよく遊びに来たという近所の主婦(54)は「地域で防犯の目を光らせていれば、女児は死なずに済んだかもしれないと考えると悔しい。もし出所すれば同じことを繰り返す。事件の凶悪性からも死刑は仕方ない」と話す。

 近所の男性(65)は、河原でバーベキュー大会を開いた際の女児の笑顔が忘れられない。「お母さんと楽しそうにお肉を食べていた姿が印象的だった。事件から20年。社会的には区切りはついたかもしれないが、あの子が戻ってくるわけではない。遺族無念は一生晴れることはないだろう」と悔しさをにじませた。

 家族付き合いをしてきた近所の女性(57)は「事件以来、お父さんは口数が少なくなり、事件の話は一切しなかったが、悔しい思いは今も変わらないはず」と遺族の胸中を推し量った。女児が通った小学校は自宅近くに今もあるが、当時を知る教職員は1人もいない。

     ◆川越の女児

 亡くなった女児と同じ団地に今も住む女性(66)は、誘拐された当日から大がかりな捜索活動に参加した。死刑執行の知らせに「女児死亡の一報を聞いたときの落胆は忘れられない。本当に憎かったけど、これでゆっくり冥福(めいふく)を祈れる」と静かに語った。

 同じ団地に住む別の女性(60)は「最近でも不審者情報が出るとふと思い出す。裁判は長く、ようやく終わったなという思いだが、遺族は生涯続くのかと思うと胸が痛む」と話した。

 女児が通っていた幼稚園の園長は「一切コメントできない」と口を閉ざした。

   ■慰霊碑へ20年目の報告

 新緑の木立に囲まれた飯能市宮沢の「宮沢湖霊園」で、東京都江東区の保育園児(当時5歳)の遺体が発見されて19年。第一発見者で、霊園の管理人だった藤井勝七さんは昨年1月、91歳で息を引き取った。

 「父が世を去ったのは刑の確定を聞いてから。決着がついたと思っていたようです」と、藤井さんの長女(67)は振り返る。

 霊園の入り口近くには、犠牲になった女児4人の慰霊碑がある。高さ約2メートルの石碑には「なむあみだぶつ」とだけ刻まれ、事件の説明などはない。それでも毎回必ず立ち寄り、手を合わせる墓参り客が少なくないという。

 約1年前、霊園の4代目の管理人になった山口昇さん(66)は17日昼前、ラジオで死刑執行のニュースを知った。「当時のことは詳しく知らない私でさえも『長い時間が過ぎたな』と感じましたね」。早速、慰霊碑に向かい、お供えの花を取り換え、線香をあげた。

   ■「空前の捜査」「他人事でない」

 事件の捜査に当たった捜査幹部らも死刑執行を複雑な思いで受け止めた。

 当時、県警捜査1課の主席調査官として捜査を指揮した横沢完治さん(64)は偶然にも数日前、「宮崎の生家は今どうなっているんだろう」と思い返したという。

 「県警の力が総動員された事件だった。あれほどの規模の捜査は前にも後にも経験がない」と振り返り、死刑執行については「いずれ執行されるとは思っていたが、遺族の思いを考えれば(発生から)20年という歳月はあまりに長かった」と表情を曇らせた。

 同課の課長補佐として捜査にかかわった石川幸夫さん(63)は「幼い4人の被害者のことを考えると、死刑執行は当然」と話す。実況見分などで宮崎死刑囚と間近に接した石川さんは「(宮崎死刑囚は)人とのつながりに乏しく、映像の社会、無言の社会で育った。現代はインターネットが普及し、当時よりも人間関係が築けない人が多いのでは。宮崎事件は決して他人事ではない」と警鐘を鳴らす。

 捜査にあたった県警幹部の一人は「凶悪事件が起きるたびに社会の耳目は『次の事件』に移ってしまうが、残された遺族の悲しみ、犯人に対する思いは時間が止まったまま変わらない。そのことを忘れてはならない」と話した。

(2008年6月18日 読売新聞)

女児遺族 晴れぬ無念  宮崎死刑囚 刑執行より
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