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夕暮れを歩く:75歳からのくらし/5 毎日、妻待つ施設へ
夕暮れを歩く:75歳からのくらし/5 毎日、妻待つ施設へ

 ◇自転車でゆっくり15分、昼・夕食の介助--「シベリア思えば、不満はない」
 雨の日も風の日もほぼ毎日、昼と夕方の2回、田島春さん(88)は自転車に乗り、妻はな子さん(85)の待つ特別養護老人ホーム「みなみかぜ」(埼玉県川越市)へ通う。

 はな子さんがここに暮らし始めて1年半になる。アルツハイマー型の認知症に加え、両足とも大腿(だいたい)骨頸(けい)部を骨折し、車いすの生活。要介護度は5だ。夫や子どもの顔も認識できないが、春さんは「家族が毎日顔をみせるのが、おかあさんにとって、何よりの楽しみだ」と考えている。

 昼食の介助の後、今度は夕食を手伝うため午後5時に家を出る。目と耳に不安があるので、自転車はゆっくりとこぐ。15分ほどで「みなみかぜ」に着く。広いフロアに十数人が集まり、食事を一緒にとる。

 春さんははな子さんの隣に静かに座り、エプロンをつけてあげ、スプーンを差し出す。この日の夕食は「青菜ごはん、とろろ、白身魚の揚げ煮、すまし汁、ゴマしょうゆあえ」。ごはんやおかずは、すべてペースト状になっている。

 隣で静かに見守る。はな子さんが不自由な手でひとさじ、ひとさじ、口に運ぶ。空になった器にスプーンを入れ続けるのを見かね、おかずを足してあげる。「おいしい?」「いっぱい食べるんだよ」「こっちも食べな」と声をかける。「よく食べたね、えらいね」の一言に、はな子さんは子どものように笑顔でうなずく。

 はな子さんの認知症は9年前から始まった。夜中に徘徊(はいかい)し、暴れる。春さんは、つきっきりで介護した。三輪車の後ろにカゴをつけ、はな子さんを座らせて病院にも通った。

 80歳の時、ショートステイの施設で転倒、大腿骨を骨折し4カ月入院した。他の病院で1年、保健施設で1年半過ごし、現在の施設に移った。春さんは、この間、ほぼ毎日はな子さんのもとに通い続けた。

 春さん自身も貧血がひどく今春、検査入院した。無理をしないようにと医師から言われているが、「おかあさんの顔をみるのが、私の日課です」と言う。

   *

 75歳以上の誰もが等しく重い荷物として背負っているのが、戦争体験だ。

 戦争中、春さんは20歳で軍隊に入隊した。旧満州(現中国東北部)でソ連との国境警備にあたり、終戦と同時に捕虜となりシベリアの強制収容所に連行された。極寒の地で、食べるものもほとんどないまま、凍土の穴掘りをした。

 チフス、栄養失調、風土病で仲間は次々と倒れていった。はいながらトイレに向かい力つき、そのまま凍り付いた人の山ができた。3000人いた仲間が5カ月間で1700人になった。

 終戦翌年の2月11日。午前4時半の出勤までは覚えていたが、突然、目の前が真っ暗になった。発疹(はっしん)チフスの高熱で意識がなくなったのだ。

 4月、だれかが体にかけてくれた毛布が足に当たり、あまりの痛さに悲鳴を上げて意識が戻った。両足の指は凍傷で真っ黒になっていた。遺体安置所の隣で寝ていた。胸に手を当てると、あばらのすき間に指が半分以上入るほどやせていた。凍傷の指を「ぶったぎろう」と言われたが「絶対にいやだ」と応じず、黒いかさぶたを自らはがした。少しずつ回復し、6月には作業に出られるまでになった。それから3年後、春さんは帰国した。29歳になっていた。

 東京・板橋の町工場で働き始めた。翌年にはな子さんと結婚。工場の漬物小屋3畳一間から新婚生活はスタートした。ひたすら働いた。給料袋の封を切ったことは一度もない。すべてはな子さんに渡した。80歳まで働き続けた。長男(57)、長女(53)の2人の子に恵まれ、今は長男家族と川越市内で暮らす。

   *

 現在の収入は月に厚生年金15万円、軍人恩給3万円、国民年金1万円で合計19万円。はな子さんには国民年金が3万円支給されている。この4月から後期高齢者医療制度になり、毎月1000円、年間で1万2000円の負担増となった。

 施設利用費として月6万円の支払いもある。このほかに、春さんは食費として長男に月6万円を渡している。13人いる孫やひ孫に少しでもお小遣いをあげられるのがうれしいという。

 「少しでも人様のためになりたい」と、自宅そばの神社の掃除を14年間続ける。

   *

 はな子さんの夕食が終わると、最後に歯磨きをていねいにする。「おかあさん、またあしたくるからね」。時計は午後7時を指そうとしている。

 「私たちはいい時代に生まれました。健康で働かせてもらえたのですから……。いろいろなことはありましたが、不平不満を言ったら、シベリアで亡くなった人に申し訳がありません」

 外は夕闇が広がっていた。ゆっくりゆっくりとペダルをこぐ1台の自転車が、その中に消えていった。【小川節子】=おわり

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 ◇特養入所者39万人超
 厚生労働省の06年介護サービス施設・事業所調査によると、06年9月の特別養護老人ホーム入所者数は39万2547人。このうち75歳以上は35万1380人で、全体の89.5%を占める。

 介護費用の自己負担分は要介護度によって異なるが、食費などと合わせた利用料は全入所者平均で5万3738円となっている。

 一方、入所を希望する待機者数は同年3月の厚労省集計で、入所者数にほぼ匹敵する約38万5000人に上る。

毎日新聞 2008年5月28日 東京朝刊
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テーマ:医療・健康
ジャンル:ニュース
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