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ご存じ?万力鎖術
ご存じ?万力鎖術
2008年06月04日

 両端に分銅が付いた鎖を操る古武術「万力鎖術(まん・りき・くさり・じゅつ)」を再び根付かせる動きが、発祥地の大垣市で起こりつつある。江戸時代中期、大垣藩士の正木太郎太夫利充(た・ろう・だ・ゆう・とし・みつ)(1689~1776)が編み出したとされ、関東を中心に細々と命脈を保ってきたが、最近の郷土史研究で、武士だけでなく、商家など上級町人にも護身用に広く伝授されていたことが分かった。
(高岡喜良)


 大垣城に近い常葉(とき・わ)神社で4月6日、万力鎖術の講習会が開かれた。埼玉県川越市から弟子数人を連れてきた「正木流万力鎖術」第11代宗家・柴田孝一さん(62)が、鎖術を学ぼうとする大垣市や名古屋市、関西在住の人たち約15人にけいこをつけた。
 創始者・正木利充の菩提(ぼ・だい)寺は大垣市船町にある常隆寺。柴田さんは20年余、命日の4月5日を中心に墓参を続けてきた。それが、鎖術を直接学べる機会ともなっている。
 常葉神社宮司の星野健さん(60)も毎年けいこに加わる一人。「いま古武道が見直され、現代スポーツにも生かされている。奥が深い鎖術を何とか大垣に根付かせたいが、それにはもっと多くの人に知ってもらうこと。何とか工夫してゆきたい」と話す。
 万力鎖術は戦前、大垣商業学校(現県立大垣商高)などで教えられたというが、地元では戦後、正木のことは忘れられていた。80年、古武道を研究していた在日オーストラリア大使館勤務のラズロー・エイブルさんが大垣を訪れ、自ら正木の墓石修理などを行い、創始者の存在が再認識された。
 一方、大垣のタウン誌「西美濃わが街」の古橋哲雄編集長(59)は、上級町人も万力鎖術を習い、正木のスポンサーになっていたとみられることを古文献からつきとめた。
 東海道の宿場町、鳴海(現・名古屋市緑区)にあった豪商「千代倉家」(姓は下里、下郷とも)の歴代当主が残した日記には、正木が健在のころ、店の幹部が頻繁に大垣に通っていたことを示す「正木太郎太夫殿くさり伝授ニ行」といった記述がある。
 酒造を営み、大地主でもあった千代倉家は、芭蕉など多くの文人が出入りしたことでも知られる。古橋さんによると、千代倉家は大垣にあった親類「桑名屋」(大垣下里家)を通じて正木家と深い結びつきがあったらしい。
 大坂で「三都(京、大坂、江戸)随一」とされた飛脚問屋を営み、俳人でもあった大伴大江丸(1722~1805)も、自身の著述に「濃州大垣の臣正木太郎太夫との(殿)より鎖術之骨法を授かりたり」と記しており、正木と交際があったらしい。古橋さんは「飛脚たちは道中の護身のために鎖術を習っていたようで、万力鎖術の広がりが分かる」と話す。


■正木流万力鎖術 大垣藩剣術指南役、正木利充が60代半ばの宝暦年間に完成させた。鎖は長さ50~65センチ。連なる32の輪と両端の分銅から成り、両手のひらに収まる。瞬時に投げたり、ぴんと張って刀を受け止めたり、絡めたりと、敵の出方で千変万化する。軽いので携帯も可能だった。

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